お が の 物 語
小鹿野の街に関する聞き伝え。
街なかの歴史的な魅力、楽しい思い出、なつかしい味・食文化。
さまざまな営みや出来事、人々によって積み重ねられた小鹿野の歴史と見え隠れする見どころ。
※コメントは、小鹿野町探索マップからの抜粋と、聞き伝えによる追加箇所があります。
路地・通り |
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■成田横丁 常盤屋の脇から南裏通りへ抜けられる路地。不動尊への参拝に通ったためこの名前がつけられた。 不動尊の隣接敷地に愛宕神社と愛宕座跡地がある。 |
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■愛宕通り 村上酒店横から南裏通りにつながり、成田横丁に平行する路地。 路地の奥に、愛宕神社や愛宕座跡地がある。 |
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■鷹巣下薬師通り 往還から南に入る路地で、路地の折れ曲りのところに鷹巣下薬師がある。 下見板張の町屋(繊維関係の工場だった)とその壁から立ち上がる4本の煙突、白壁の土蔵など、小鹿野の産業遺構を味わえる路地。 |
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■朝日通り 往還の南側に位置する東西の通り。映画館や飲食店、色街の要素もあり、朝まで遊興や娯楽を楽しむ人たちで賑わい、人々は遊びにでた時は毎夜朝日をみて帰るようだった。 |
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■往還 小鹿野の目抜き通り。群馬・山梨方面などの広域からの物資集散の動脈として機能した。 緩やかに湾曲し、歴史的な街並みや西側に見える両神山(日本百名山)やニ子山、東側に見える武甲山などが見え隠れする。 |
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■あじさいの小径 中野酒店所有地内を往還から十輪寺前に通り抜ける隠れた路地。 若旦那が手植えした紫陽花が見事。 |
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■小鹿野町道路元標 小鹿野町の道路の起終点の基準としていた標識。 大正8年の旧道路法では各市町村に一個ずつ道路元標を設置することとされていた。 |
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文化財・神社仏閣 | |
■十輪寺 十一面観世音を本尊とする真言宗の古刹。埼玉県指定文化財の絹本着色十三仏や木造金剛力士像、小鹿野町指定文化財の十一面観世音坐像がる。かつて、江戸時代後期の特異な建築様式の堂内回廊型の仏堂である栄螺堂があった。 釈迦の誕生日を祝う花祭りには、本堂前などでコンサートが行われる。 加楼羅(カルラ)天石仏 江戸時代末期頃のもの。カルラ王はインド神話に現れる空想上の大怪鳥で仏法を護持する八部衆の一員で、笛の音色で悪い龍を退治するという。石像塔のカルラ王は日本でこの一基のみ。 時の鐘 戦争で供出した物を、昭和40年に再建。今でも町内に時を告げつづけている。 芭蕉句碑 芭蕉の流れをくむ小鹿野の俳人”中阿坊朴叟”が芭蕉の100年忌に建立した。「梅が香にのっと日の出る山路かな」 鶴の松 樹形が鶴が羽を広げたように見える樹齢200年の古木。 |
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■旧小鹿神社本殿 小鹿神社は、明治43年の赤平川の洪水等により腰之根地区へ移転したが、本殿はそのまま残された。桁行142p、梁間153p、唐破風の向拝が付き、精巧な彫刻を施した社殿である。 雨除けや管理上の問題などで、屋根付の金網に囲まれているのが寂しい。 |
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■小鹿神社 明治43年の赤平川の洪水等により腰之根地区の現在地へ移転した。小鹿神社に合祀された諏訪神社の社殿は、安永4年(1775年)の建立で規模や様式は、旧小鹿神社本殿とほぼ同じ。 |
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■小鹿野の春まつり 4月第3土曜日とその前日、小鹿野は祭り一色に染まり、町衆は歓喜とともに遅い春の訪れを謳歌する。 腰之根・新原の二基の笠鉾、上町・春日町の二基の屋台を先導するのは、華やかな衣装に身を包んだ若き乙女たちが努める「金棒つき」。曳き網の中で声を張り上げ、若衆の音頭をとる祭りの花形「拍子木」。笠鉾・屋台の上で若衆を鼓舞する「反木・上のり」。役人(やくびと)と呼ばれる彼らに合わせて、笠鉾・屋台は勇壮な太鼓の囃子と熱気あふれる若衆の威勢のいいかけ声とともに町中を曳き廻される。 一日目の夕刻には屋台に芸座が組まれ、伝統の小鹿野歌舞伎が上演される。(県指定無形民俗文化財) |
■鷹巣下薬師尊 毎年7月7日、薬師様祭り(あめ薬師)で狭い路地が賑わう。堂内には町指定の三つの文化財がある。 本尊薬師如来厨子:彩色も良く残り江戸時代の建造とみられる。宝鏡の台に寛政8年の墨書がある。 紙本着色十二神将画像:中阿坊朴叟が天保6年に描いたと墨書がある。 鰐口:元禄12年江戸の鋳物師の作で小鹿野初期の開発者である出浦氏が寄進したもの。 |
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■愛宕神社 火防の神を祀り、本殿は明治37年建立。愛宕神社所蔵文書は明治以降の祭礼の変遷を伝える貴重なもの。 |
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■成田横丁の不動尊 常盤屋さん(小鹿野町指定文化財加藤家住宅)が明治18年に建造、成田山から勧請。浮彫り彫刻の見事さに、また、土蔵造りの母屋を造った時の余り材で造ったこと、個人所有であることにびっくり! |
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■八坂神社 | |
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■八雲神社 社殿の隣りと、横路地の奥に井戸がある。屋根のかかった釣瓶をかける歯車が残っており、歴史を感じる。 |
■宮澤賢治歌碑 大正5年9月に宮澤賢治は、盛岡高等農林学校の地質学研修旅行で秩父地方に訪れ、「山狭の 町の土蔵のうすうすと 夕もやに暮れ われらもだせり」と詠んだ。 |
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旧跡・伝承 | |
■代官所跡 | |
■愛宕座跡 明治45年に建設された回り舞台、せり上げ升席を備えた町唯一の興行劇場であった。老朽化のため昭和46年に解体。 往時を懐かしみ、また、小鹿野の地芝居文化の場として、建物の再建を望む声もある。路地に面するイベント利用時などの貴重なオープンスペースとなっている。 サッカー日本代表GK川島永嗣選手が子供のころ、小鹿野の親戚に遊びに来ると、愛宕座跡地でサッカーボールを蹴って遊んでいた。 |
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■小鹿野キネマ跡 昭和30年頃の映画全盛時代とあいまって、朝日通りの歓楽街の中心的な施設として賑わった。 今は、買い物客や来訪者を迎える駐車場。 |
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■翁館跡 | |
■小鹿野郷学校跡 | |
■老人クラブ発祥の地 全国に先駆けて旧長若村としより倶楽部が設立され、老人福祉法地に基づく老人クラブへ発展していった。 このような歴史と伝統が、高齢者にやさしい、高齢者が元気なまちの礎。 |
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商家・町屋・風景 | |
■常盤屋(加藤家住宅) 明治13年加藤恒吉によって建てられ、1階が日用品・食料品の店舗、2・3階が養蚕飼育に使用していた。桁行12.6m、梁間13.5m、切妻・瓦葺の土蔵造り町屋で、3階建ての豪壮な建物は、町内では他に類を見ず、県内でも明治初期の数少ない木造商家建造物として貴重なものである。平成7年3月30日町指定有形文化財(建造物)。 路地に面した白壁が趣を演出するとともに、町屋らしい庭園がすばらしい。 |
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■浅見商店 明治30年頃に建てられた商家建築で、小鹿野でも珍しい土蔵が往還に面し、内蔵の構造になっている。当時は、絹の買継商を営んでいた。 【浅見さんのお話】 馬が主な交通手段であった当時、承認が乗ってきた馬を倉の前にある鉄柵の中に入れ、そこにつないでおいて商談を行ったりしていました。当時の柵は戦争の時、鉄製品の供出で取り壊されましたが、住宅の改修に併せて復元しました、鉄製の柵でできた馬のつなぎ場は、他にはほとんど例を見ないものです。 |
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■池内氏宅 築130年以上で、往時の典型的な商家の面影を今に伝えている。明治35年当時は、小鹿野町で最も多かった職業が糸繭商で、町内に17軒あった。 【池内さんの話】 糸繭商を営んでいたということで、こういう造りなんです。私が幼い頃、向こうの廊下は全部土間でした。裏まで全部引っ込んでいて、生活するにはやはり不便なので、土間を廊下にしたりしています。見栄えはいいですが、住むには大変です。 |
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■夢鹿蔵(旧埼玉銀行土蔵) 明治25年に小鹿野銀行の土蔵として建設されたものを平成10年に商店街が協同組合を設立し、1階喫茶軽食・物産品の販売、2階歌舞伎ギャラリー(歌舞伎衣装などの展示)として改築し運営している。 改築にあたっては、最小限の変更に努め、往時の建築を伝えており、絹と綿を区分して納めた二連構成の土蔵の形態をとどめている。 コンサートや寄席の会場としても活用しており、町内のコミュニティの場。 |
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■村上酒店 江戸時代末期に醤油の製造・販売店として創業し、現在は酒店。 商家のたたずまいを今に伝えている。店からの通り抜けや屋敷庭、土蔵、井戸、作業場の木組みなど、商家の特徴が盛りだくさん。 |
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■越後屋旅館 明治8年創業、初代の奥さんが新潟県出身というのが屋号の由来。現在は、五代目・六代目が経営。 囲碁・将棋の宿として、囲碁・将棋愛好者の利用も多く、旅館主催の囲碁大会なども開催されている。温泉の壁には、巨大な碁盤が掲げてある。 |
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■中野酒店 群馬県太田出身の初代が造り酒屋として創業。店からの通り抜け庭は昔のままのたたずまいを残し、造り酒屋当時の作業場が残っている。 四代目・五代目家族が経営する会話も弾む楽しいもてなしの酒屋、品揃えやラッピングなどの会話ついでに、秩父の銘酒をお買い上げ! |
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■須崎旅館 明治初期の創業。当時の面影を残して、街並み修景事業を活用して建替え。 ロビーには、かつて使用していた立派な金庫が据えられていて歴史を感じるとともに、館内は小鹿野にちなんだたくさんの小物で演出されている。 |
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■(有)渋谷商店:かつては下駄の製造販売 かつて桐下駄を手作りしていた当時の道具が残っている。 生活様式が多様化し、下駄を履く機会も少なくなり、取り扱う履物の種類も多様化してきました。 一本歯下駄など、専門店ならではのレア商品も取り扱っている。 |
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■ゑびすや かつての料亭山喜家のすし処を活用した手打ちそば・うどんの店。季節のメニューや小鹿野の伝統料理を手作り。 祭り好きのおかみさんは、おがの路地まち研究会の代表。小鹿野のPRのためにあちこちのイベントで自慢の料理を提供。 |
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■BARBER01 店はアートだ!と言わんばかりに、店舗の内外に造形があふれている。 歴史の街小鹿野にあって、店頭にはオリーブの木、窓のあちこちにステンドガラス、手づくりの造形が盛りだくさん。 |
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■旧平沼製菓舗 店の壁にかかげられている手焼き煎餅の道具。 饅頭・和菓子の製造販売店だったが平成21年閉店。 おばあちゃん曰く、お嫁に来た時には、すでに煎餅の製造販売はしていなかったそうです。 |
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■無人植木直売所 郊外でよく見かける農産物の無人販売所、小鹿野の街なかには、無人植木直売所!枝ぶりの良い盆栽も取り扱っています。 |
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■火の見櫓 かつては、どこの街なかでも見かけた火の見櫓。かつては火災の発生寺に半鐘が打ち鳴らされ、火消の招集と火災発生を知らせる重要な役割を担っていたが、電話の普及や通報体制の整備に伴い、多くの町から消えていった。 小鹿野には、3基の火の見櫓が残っており、昭和レトロを感じるランドマークとなっている。 |
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■隈取アート 歌舞伎のまち小鹿野のまちづくりを盛り上げるために始まった歌舞伎顔芸術運動!小鹿野春祭りや路地ST.開催時には、老いも若きも我先にと競って、隈取アートを楽しみます。そのままの顔で、夜街なかを歩いていると、他所から来た人たちがびっくり!「小鹿野って、すげーなー」 |
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■名物ミドリガメ 縁日で買ったミドリガメも大切に上手に育てると立派なカメ。 気候の良い時期には、須崎旅館の店頭で、お客様をおもてなし。小鹿野の往還沿道の動物部門アイドルです。 |
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■オートバイによるまちおこし 日本で唯一の取り組み。せっかく来てくれた人たちを「ウエルカムな気持ち」で温かく迎え、気持ちよく帰っていただくための町ぐるみでの取り組みのロゴマークです。町内のさまざまなとことで見かける。 お楽しみ情報は、http://www.bike-ogano.jp/ |
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味・食文化 | |
■わらじカツ丼 昭和初期より小鹿野名物として親しまれているわらじカツ丼、ロースとモモ肉の2枚のカツがわらじのように大きいことからその名がある。カツをタレに漬け込み、丼にのせただけのシンプルなつくり。それゆえに店ごとに秘伝のタレがあり味を競っている。カツが大きいので、1枚のカツを丼のふたにおいてから食べるのが正当な食べ方。 |
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■たらし焼き 菓子があまりなかった頃、野良仕事のおやつやお茶受けに食べた懐かしの地域食。小鹿野では、特産品のしゃくし菜が入っています。 夢鹿蔵で提供しているたらし焼きには、現代風にマヨネーズが添えてある。 Japanese-Healthy-Pizza |
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■みそポテトは、ジャガイモではなく”サツマイモ” 秩父地域のB級グルメとして有名だが、小鹿野のみそポテトは、サツマイモだった。 労働の後の食、食に求める贅沢として、小鹿野には、甘みを取り入れる料理が多い。 |
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■げそ天3ケ20円 こどものおやつ。どこにあったなんという店? 昔は、駄菓子屋さんなど、いろいろなお店が新聞紙で作った袋に商品を入れたり、新聞紙に包んで提供してた。 |
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■100円餃子 十輪寺山門前の鳥一。5ケ100円の餃子、店名で言わず、100円餃子に行くと言う。焼き鳥も美味しいよ。 某大手飲食店企業の社長も、100円での提供に興味深々、「この餃子を100円で出されたたまらいよなー」 |
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■ホルモン焼の仕上げはフランスパン 朝日通りにあるホルモン鷹。大きな鉄板を囲んで、ビールを飲みながらのホルモン焼は美味い!一通りホルモンを食べたら、仕上げはフランスパンのスライスを肉汁がしみた鉄板で焼いて、ガーリックバターをぬっていただきます。これも小鹿野流。 |